アレッツォ県の北東のティベリーナ渓谷は、日本ではあまり馴染みがない、あるとすれば、やはりピエロ・デッラ・フランチェスカ好きの方くらい?なマイナーな地域。そんな地域に私が初めて行ったのは、もう13年前になります。それは、初めての新聞社の取材コーディネイト&通訳で、取材のテーマはまさしく「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」。
フィレンツェを拠点にし、トスカーナ以外でもペルージャやウルビーノ、リミニにも足を運び、確か丸まま1週間かそれ以上あった長期取材。この日はフィレンツェからまずアレッツォに行き、サン・フランチェスコ教会で「聖十字架伝」の取材を学芸員さんに行った後、バスを乗り継いでピエロの故郷であるサンセポルクロを訪れたのです。
昨年、サンセポルクロとモンテルキを訪れることがありました。取材はもう10年以上前のことだし、とにかく緊張の連続で必死だったので街並みもあまり覚えてなかったけれど、今は一般公開されているピエロの生家(当時、今も財団)の事務所を見た時、まさに取材のあの時のシーンがフラッシュバック・・・当時は時間もなく事務所でスタッフの方と話をしただけで、現在は一般公開されている2階から、こんなパノラマも堪能することができます。
それからつい懐かしくて、ピエロの作品2点が収められている市立博物館へ、それから取材の足跡をたどるように、出産の聖母を見にモンテルキへも。取材当時は帰りのバスの時間にギリギリで町は全く見られなかったのですが、この時量りの博物館も見学し、村もブラブラと。
初めての取材コーディネイトと通訳で、準備段階から緊迫の毎日。本番になっても毎日凹んだり反省の連続だし、電車が遅延したりで精神的にも辛かったけれど、記者さんが同じ大学の同じ学部の先輩で、移動の長い電車の中たくさんおしゃべりもして、緊張をほぐして下さったことを、本当によく覚えている。あんな経歴しかなかった私に、よくこんな大役を依頼されたな、と今でも思うと同時に、受けた私もよく受けたよな?と我ながら失笑・・・でもこの大役を果たせたおかげで通訳としてやっていきたい気持ちが強まり、また、やっていける自信が湧いてきたです。この経験があったからこそ、時計の同時通訳も思い切って引き受けることができたし、それからもいろんな通訳の経験を重ねて、今では通訳が仕事のメインとなっている。記者さんには、ただただ、感謝の気持ちしかありません。