昨日はウェブマガジンの記事作成の取材のため、フィレンツェに行った。前日の雪が嘘のように晴れ渡り、空気はまだキーンと寒いものの、気持ちのいい1日になりそうだった。朝に知った、悲しい知らせがなければ。
私がおらが村に引っ越してきた2005年夏。知ってる人は誰もおらず、アジア人は誰もおらず、会う人会う人に頭のてっぺんから足の先まで、じーーーっと見られる。そんな数日が続いた後、チルコロと言う田舎がには必ずある寄合所の前でたむろしてるおっさん集団の中から、「キミ、日本人?最近越してきたの?」と話しかけてきた人がいた。いかにも人なつっこい、メガネをかけた初老のおじさんだった。「ちょっと前までは日本人がいたんだけど、田舎生活に馴染まないみたいで、フィレンツェに越しちゃったんだよ~」その後はいろんな人から嫌と言うほど話されたこのネタを、新入りのアジア人に初めてふってきたのが彼だった。私がイタリア語しゃべれるのが分かって安心?したのか?それ以降、黙ってじーーーと見ていた他のおっさんやオバちゃんが話かけてくるようになったのをよく覚えている。
それから妊娠、出産し、おらが村にすっかりなじんだ私たちだったが、チルコロの前で最初と変わらずしゃべりかけてくるのが、あの「メガネのおっちゃん」だった。シャイな長男がぷっと笑い出すように、通りすがりに脅かしたり、こそばしてきたり、頭をグリグリなぜたり、いつもユーモアたっぷりのメガネのおっちゃん。本名を知った後でも、わが家族の中では「メガネのおっちゃん」として親しまれた彼の姿は、ここ数年はたまにしか見ないように・・・ママ友に聞くと、ガンを患ったそう。最後に見たのは1か月前、奥さんと一緒に歩いていて老いて痩せてはいたけれど、あの人なつっこい笑顔はそのままだった。
この日の朝見た、張り紙。イタリアでは誰かが亡くなると、町の掲示板に告知が出る。あまりにも「メガネのおっちゃん」が定着しすぎて、一瞬誰のことが分からなかったけど・・・そう、彼の昔からのニックネームは「モ―ロ」。若かりし頃はふっさふさの黒髪だったから、そう呼ばれていたのだとか。1年ちょっと前にブログに書いたこと・・・田舎暮らしは人との結びつきが強いだけに、誰かが亡くなると、それが他人でもとても悲しい。フィレンツェからの帰り道、ここ数年亡くなる人が多いよね、とダンナが言うのだが、きっと亡くなる人が多いのでなく、私たちがおらが村に馴染んで知り合いが多くなったからそう感じるんだと思う。たいして知らない人だったら、こんな気持ちにはならないし、訃報にだって気をとめないだろうから。隣に誰が住んでるか分からないような味気ない日常生活よりは、いなくなった時には寂しくとも、笑顔で挨拶や立ち話をするような毎日がやっぱり気持ちいい。
メガネのおっちゃんは、真の意味で、私のおらが村生活をスタートさせてくれた恩人。ああ、またおっちゃんの笑顔が見たいなぁ。